今回は、世界中で注目を集める二刀流スター、大谷翔平さん。
スーパースターの大谷翔平さんのご両親は、一体どんな方々なのかとっても気になりますよね!
この記事では、大谷翔平さんの父親の職業や、家族構成、両親とのエピソードについてもたっぷりご紹介していきます。
大谷翔平さんファンの方はもちろん、野球に興味がある方も必見です!それでは、さっそく見ていきましょう!
- 大谷翔平の父親の職業3つ
- 大谷翔平の家族構成や家族について
- 大谷翔平の両親とのエピソード
大谷翔平は5人家族!母子家庭や亡くなったはデマ!!
まず最初に、大谷翔平さんの家族構成についてご紹介します。
大谷翔平さんは5人家族で育ちました。下記が大谷翔平さんの家族構成です。
- 父親:大谷徹(おおたに とおる)さん
- 母親:大谷加代子(おおたに かよこ)さん
- 兄:大谷龍太(おおたに りゅうた)さん(7歳年上)
- 姉:大谷結香(おおたに ゆうか)さん(2歳年上)
- 大谷翔平さん
ネット上で時々見かける「大谷翔平さんは母子家庭で育った」とか「母親が亡くなった」といった情報は完全なデマです。
大谷翔平さんのご両親は健在で、今も岩手県で暮らしています。
大谷翔平さんの家族は非常に仲が良く、互いに支え合っている様子がメディアの取材などからも伝わってきます。
特に父親は大谷翔平さんの野球の才能を早くから見出し、熱心に指導してきました。
では、そんな大谷翔平さんの父親の職業について、詳しく見ていきましょう。
大谷翔平の父親の職業は?3つ紹介!
- 名前:大谷徹(おおたに とおる)
- 生年月日:1962年(2024年現在、62歳前後)
- 出身地:岩手県北上市和賀町
- 身長:183cm
- 学歴:岩手県立黒沢尻工業高等学校卒業
大谷翔平さんの父親・徹さんは、これまでに3つの異なる職業に就いています。
父親・徹さんのそれぞれの職業が、大谷翔平さんの成長や野球キャリアに大きな影響を与えています。
それでは、順番に見ていきましょう!
大谷翔平の父親の職業1:三菱重工
父親・徹さんは高校卒業後、三菱重工横浜製作所に就職し、社会人野球チームに所属しました。
実は、父親・徹さんの人生は高校3年生の夏の県大会で大きく変わることになります。
父親・徹さんが通っていた黒沢尻工業高校は野球が強く、多くのOBが全国の社会人チームで活躍していました。
父親・徹さんも当初は、千葉の名門チームでプレーする先輩のツテで、千葉の製鉄会社に就職する予定でした。
しかし、高校最後の県大会で初戦敗退してしまったのです。
父親・徹さんは、3年間ひたすら野球に打ち込んできたにもかかわらず、1年生の夏に敗れた盛岡一高にまたしても負けてしまいました。
この敗北感は父親・徹さんに大きな影響を与え、一時は野球から離れたいと思うほどでした。
結果として、父親・徹さんは内定していた千葉の製鉄会社への就職も断り、「燃え尽き症候群」のような状態に陥ってしまいます。
しかし、その後父親・徹さんは三菱重工横浜製作所に入社し、野球を続けることを決意します。
父親・徹さんは当時のことをこのように話されています。
10月とか11月になると、また、野球をやりたくなってしまったんですよ、これが(笑い)。もう一度、やりたくなって、監督に『実は……』と切り出したんですけど、おまえ、断ったじゃないかという話になって。(中略)監督に正直に気持ちを打ち明けると、じゃあ、分かった、心当たりがあると
日刊ゲンダイ
三菱重工横浜製作所には、当時すでに3名の内定者がおり、その2名は後にプロ入りも果たす飯塚富司さんや中野佐資さんでした。
父親・徹さんは外野手として活躍し、チームの主力選手として1番や2番を打つなど、重要な役割を担っていました。
「レギュラーとして試合に出ていたのは1年おきぐらい。大した選手ではなかったですけど、主力に近いところではプレーしていました」
日刊ゲンダイ
しかし、父親・徹さんは入社1年目で肩を故障してしまい、6年目には戦力外通告を受けます。
父親・徹さんは、24歳で現役を引退することになりました。
この父親・徹さんの経験は、後に大谷翔平さんの野球指導に大きな影響を与えることになります。
父親・徹さんは自身の経験から、大谷翔平さんに的確なアドバイスができたといえます。
大谷翔平さんの父親も野球選手でした!大谷翔平さんの野球人生のきっかけとなった人物と言えるでしょう。
大谷翔平の父親の職業2:トヨタ自動車
野球を引退した後、父親・徹さんは故郷の岩手県に戻ることを決意します。
父親・徹さんは自動車のボディメーカーであるトヨタ自動車の社員として働き始めます。
これは大谷翔平さんが生まれる前のことでした。
父親・徹さんの仕事は昼夜2交代制で、とてもハードなスケジュールだったそうです。
父親・徹さんは、昼の部は午前8時から夕方5時まで、夜の部は午後8時から翌朝の午前5時までという勤務体制でした。
そこからさらに1時間から2時間の残業があることも珍しくありませんでした。
しかし、父親・徹さんは仕事の傍ら、大谷翔平さんの野球の指導にも熱心に取り組みました。
例えば、夜勤の週になると土曜日の朝に自宅へ帰るわけですが、父親・徹さんはそのまま寝ずに野球の練習へ行っていたそうです。
父親・徹さんは
「それが生活スタイルになっていたので、当時はその状況を何とも思いませんでした。自分の睡眠を削ってでも、できるかぎりのことはしてあげたかった。翔平には悔いの残らないように野球をやらせたかったですし、私自身もそうしたかった」
東洋経済
と語っています。
この時期の父親・徹さんの姿勢は、大谷翔平さんの野球に対する真摯な態度や、ハードワークを厭わない姿勢の形成に大きく寄与したと言えるでしょう。
また、父親・徹さんがこれほど熱心に大谷翔平さんの野球指導に取り組んだ背景には、長男の龍太さんへの思いもありました。
父親・徹さんは
「翔平と7つ違いの(長男の)龍太は、小さい頃は地元のスポーツ少年団で野球をやっていました。中学校でも軟式です。当時の私は、仕事が忙しくて龍太に対して手取り足取り野球を教えてあげられなかった。キャッチボールもなかなか付き合ってあげることができなかったんです。そのことが心のどこかに引っかかっていまして……。今でも龍太には申し訳なかったと思っているんです」
東洋経済
と振り返っています。
この経験から、徹さんは大谷翔平さんには一生懸命に野球を教えようと決意し、末っ子ははじめから硬式チームに入れて野球をやらせたいという思いを持っていたのです。
自身の睡眠を削ってでも熱心に大谷翔平さんに野球を指導されてきた父親・徹さん。この努力が大谷翔平さんの現在の姿につながっているのですね・・・!!
大谷翔平の父親の職業3:野球監督
大谷翔平さんが小学2年生の頃から、父親・徹さんは息子のチームのコーチとして指導に携わり始めました。
その後、大谷翔平さんが中学生になると、父親・徹さんは「一関シニア」というチームのコーチを務めます。
父親・徹さんは7年以上にわたって大谷翔平さんを直接指導し、大谷翔平さんが才能を開花させる大きな役割を果たしました。
父親・徹さんは2016年にはトヨタ自動車東日本を退職し、監督業に専念しているそうです。
現在も、父親・徹さんは地元岩手県の中学生硬式野球チーム「金ケ崎リトルシニア」の監督を務めています。
当時、父親・徹さんは、大谷翔平さんのことを息子だからといって特別扱いすることはなかったそうです。大谷翔平さんは下記のように語っています。
「父親は中学まではずっとコーチや監督だったので、グラウンドで接していることのほうが多かったですね。ただ、監督やコーチはチーム全体を見ないといけないですし、息子だからといって特別扱いするわけにもいかない。だから僕も父親という観点ではあまり見ていなかったですね」
東洋経済
そして、大谷翔平さんは、特別扱いされないことをわかっていた上で、仲間の選手よりも圧倒的な努力を重ねたそうです。
僕が監督だったとしてもそうだと思いますが、同じぐらいの子が自分の息子と同じ実力だったら、息子ではない違う子を試合で使わないといけないと思うんです。(中略)だから、息子である自分が試合に出るためには圧倒的な実力がなければいけない。チームのみんなに納得してもらえる実力がなければいけない。
東洋経済
父親が監督ということに決して甘えることなく、逆に仲間の何倍も何十倍も努力されてきた大谷翔平さんの凄さには頭が上がりません・・・。
大谷翔平の母親
次に、大谷翔平さんの母親についても詳しく紹介していきます。
- 名前:大谷加代子(おおたに かよこ)
- 生年月日:1963年(2024年現在、61歳前後)
- 出身地:神奈川県横浜市
- 身長:170cm
- 学歴:神奈川県立横浜立野高等学校卒業
写真は、大谷翔平さんが4歳の時の母親・加代子さんとの2ショットです。
大谷翔平さんと母親・加代子さんは特に目元が瓜二つですね!!
大谷翔平の母親はバドミントン経験者!
大谷翔平さんの母親・加代子さんも、実はスポーツ選手としての経歴を持っています。
母親・加代子さんは元バドミントン選手で、かなりの実力者でした。
母親・加代子さんは小学5年生からバドミントンを始め、中学3年生の時には神奈川県の代表選手に選ばれるほどの腕前でした。
また、母親・加代子さんは全国大会の団体戦で準優勝の経験もあります。
高校時代は、母親・加代子さんは、バドミントンの強豪校として知られる神奈川県立横浜立野高校に進学し、インターハイにも出場しています。
さらに、母親・加代子さんが社会人になってからもバドミントンを続け、社会人大会の神奈川県予選でベスト4に入るなど、その実力は衰えることがありませんでした。
このようなスポーツバックグラウンドを持つ母親・加代子さんは、大谷翔平さんの運動能力の高さにも大きく貢献していると言えるでしょう。
また、母親・加代子さんは大谷翔平さんが小さい頃、バドミントンの練習に連れて行き、一緒に遊んだそうです。
大谷翔平の母親と父親は社内結婚!
母親・加代子さんの人生に大きな転機をもたらしたのが、三菱重工横浜への就職でした。
ここで、大谷翔平さんの父親である徹さんとの運命の出会いがあったのです。
母親・加代子さんが入社1年目、徹さんが入社2年目の時のことでした。
当時、三菱重工横浜では会社を挙げて野球部の応援をしており、新入女子社員はチアガールとして応援することが義務づけられていました。
母親・加代子さんは、父親・徹さんの所属する野球部の応援にチアガールとして参加したのです。
この出会いをきっかけに、加代子さんと徹さんは交際を始めます。
バドミントン部に所属していた加代子さんと野球部の徹さん。
スポーツを通じて互いの頑張りを理解し合える関係だったのでしょう。
そして、徹さんが24歳、加代子さんが23歳の時に結婚しました。
大谷翔平の母親は現在パート勤務!
現在、母親・加代子さんは地元の焼肉店でパートとして働いているそうです。
大谷翔平さんが世界的な成功を収めた今でも、自分たちの生活は自分たちで支えるという姿勢を貫かれています。
大谷翔平さんがある時、母親・加代子さんに「いつまで働くの?」と聞いたことがあったそうです。
それに対して母親・加代子さんは「あなたに、おんぶに抱っこというわけにはいかないでしょ?」と、笑って返されたそうです。
大谷翔平さんのご家族の人間性の素晴らしさが垣間見られます。
大谷翔平の兄弟は姉と兄!
大谷翔平さんは3人兄弟の末っ子で、兄と姉がいます。
大谷翔平の姉
- 名前:大谷結香(おおたに ゆうか)
- 生年月日:1992年(2024年現在、32歳前後)
- 身長:168cm
- 職業:不明
- 配偶者:流石裕之(花巻東高校野球部関係者)
大谷翔平さんには2歳年上の姉・結香さんがいます。
姉・結香さんは学生時代、バレーボールに打ち込んでいたそうです。
姉・結香さんもスポーツ一家の血を受け継いでいるんですね。
姉・結香さんは高校卒業後、看護大学に進学されたという噂がありますが、あくまでも噂止まりで真相は不明です。
2020年1月には、姉・結香さんは大谷翔平さんの母校である花巻東高校の野球部関係者と結婚しています。
姉の結香さんと大谷翔平さんは2歳差ということもあり、子供の頃はよくケンカをしたそうです。
しかし、結香さんは大谷翔平さんが自転車のカゴを壊してしまった時も怒らなかったという逸話があり、とても優しい姉だったことがうかがえます。
大谷翔平の兄
- 名前:大谷龍太(おおたに りゅうた)
- 生年月日:1988年3月20日
- 年齢:36歳(2024年11月現在)
- 身長:187cm
- 学歴:岩手県立前沢高等学校卒業
- 職業:トヨタ自動車東日本勤務、同社硬式野球部所属
大谷翔平さんには7歳年上の兄・龍太さんもいます。
兄・龍太さんも野球選手としてのキャリアを持っています。
兄・龍太さんは高校卒業後、クラブチーム「水沢駒形野球倶楽部」に所属して野球を続けていました。
その後、兄・龍太さんは四国・九州アイランドリーグの高知ファイティングドッグスに入団し、プロの世界も経験しています。
兄・龍太さんは現在、父親と同じくトヨタ自動車東日本に勤務しながら、同社の硬式野球部で外野手として活躍し、コーチも兼任しているそうです。
兄・龍太さんは、大谷翔平さんのことを「可愛い存在」と語っています。
7歳も年が離れているため、小さい頃から兄弟喧嘩もなく、大谷翔平さんの面倒をよく見ていたそうです。
このような家族の温かい支えが、大谷翔平さんの成長を支えてきたのでしょう。
大谷翔平さんの兄弟については、こちらの記事でさらに詳しく紹介しています!↓
大谷翔平の両親・兄弟も高身長!
大谷翔平さんの高身長は、両親から受け継いでいるようです。
大谷翔平さんの両親ともにかなりの高身長なんです。
父親・徹さんの身長は183cm、母親・加代子さんの身長は170cmだそうです。
日本人の平均身長(男性が171.5cm、女性が157cm程度)と比べると、どちらもかなり高いですよね。
ちなみに、大谷翔平さんの家族全員の身長を並べてみると、こんな感じになります。
- 父親(大谷徹さん):183cm
- 母親(大谷加代子さん):170cm
- 兄(大谷龍太さん):187cm
- 姉(大谷結香さん):168cm
- 大谷翔平さん:193cm
大谷家は家族全員が高身長!
大谷翔平さんの193cmという身長は、両親の良い遺伝子を受け継いだ結果と言えるでしょう。
大谷翔平の両親とのエピソード
大谷翔平さんと両親との間には、様々な心温まるエピソードがあります。見ていきましょう!
父親との野球交換日記
大谷翔平さんが小学生の頃、父親の徹さんとの間で「野球交換日記」を書いていたそうです。
これは、ミニサイズのキャンパスノートを使って、大谷翔平さんが試合での反省や今後の課題を書き、父親・徹さんがそれに対する評価やアドバイスを書くというものでした。
試合から帰ったら、今日はこういうプレイができた、3回まではいいピッチングができた。あるいは、高めのボール球に手を出したとか、ボール球を打ってフライを上げたとか。そういった試合での良かったことや悪かったことなどをノートに書かせていました。
東洋経済
この交換ノートは、大谷翔平さん小学校5年生になるまで続けられたそうで、2〜3冊にもなったと父親・徹さんは話されています。
この習慣を通じて、大谷翔平さんは自分の野球を客観的に振り返り、改善点を見つける力を養ったのでしょう。
また、父親との絆も深まったに違いありません。
プロ入り後もお小遣い制
大谷翔平さんがプロ野球選手になった後も、しばらくの間は両親からのお小遣い制を続けていたそうです。
大谷翔平さんは、月に10万円のお小遣いをもらっていたそうですが、それでも使い切ることはなかったとか。
「収入のすべては岩手県奥州市に住む、ご両親が管理していると聞いています。4年前に社会人になりましたが、いまだに『お小遣い制』で、両親から毎月10万円ほど振り込まれているようです。それも自分の食費とトレーニング代、サプリメント代に使うぐらいで、月末にはお金が余ってしまうそうです」
女性自身
当時、大谷翔平さんは入団4年目で貯金が5億円超と言われていました。
それなのに、なんとお小遣い10万円・・・!
お金の管理や使い方についても、両親の教えが大谷翔平さんの価値観形成に大きな影響を与えているのでしょう。
実家建て替えを両親が拒否!
大谷翔平さんの実家は、岩手県奥州市の閑静な住宅街にあります。
そんな実家の建て替えを、親孝行のために大谷翔平さんが両親に申し出たことがあったそうです。
しかし、なんと大谷翔平さんのご両親は、その提案を拒否されました。
「実は翔平くんがまだ日本でプレーしていた時期に、“実家の建て替え”を両親に提案したことがあったんです。翔平くんとしては親孝行をしたかったのでしょう。ところが、おじいさんに“両親も元気で、家もまだ古いわけでもないんだから、そんなふうにお金を使うもんじゃない。ちゃんと貯めておきなさい”とたしなめられた。その教えはいまでも翔平くんの心に残っているそうです」(大谷家の知人)
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これらのエピソードからも、大谷翔平さんと両親との深い絆や、互いを思いやる気持ちが伝わってきますね。
大谷翔平さんのご両親の人格が素晴らしすぎる・・・!
大谷翔平の父親の職業3つ!野球監督やトヨタ勤務も!両親とのエピソードが感動的!!まとめ
この記事では、世界的スーパースター大谷翔平さんの父親の職業や、家族について詳しく紹介していきました!
- 大谷翔平は5人家族で、母子家庭や亡くなった噂はデマ!
- 大谷翔平の父親は、三菱重工やトヨタでの勤務や野球監督も!
- 大谷翔平の母親は元バドミントン選手で現在はパート勤務!
- 大谷翔平と両親のエピソードが感動的!
父親の3つの職業経験や母親のスポーツ選手としての経歴、そして両親の教育方針など、大谷翔平さんの成功の背景には家族の存在が大きく関わっていることがわかりました!
今後もそんな大谷翔平さんを応援していきましょう!!